いすゞ117を初めて見たのは、近くの医院の車庫だった。医師の車だったのだろうと思うが
当時の高額車だったなどとはあとで知ったことで、いつもこちらに後ろを向けて停めてある
グレーのその車を、そのときには「モーレツ ア太郎のデコッ八みたいなのが停まっているな」
としか思っていなかった。特にかっこいいとは思えなかったのが正直なところである。
コンセプト段階の117スポーツ
ジウジアーロデザインと公表されたその姿は、同時期に彼の手がけた外国車に面影が共通していた
こちらはイタリア イソ・グリフォ
しかしそれから数年経って、街で見かけたグリーンメタリックの117の姿は別の印象だった。
リヤランプの意匠が更新され、ナンバーがバンパー下に移されたデザインは、他の国産車とは
全く異なる魅力を放っていた。デコッ八のおでこのようだと思っていたトランクのふくらみも、
メタリックのボディに周囲の風景を美しく映し込む優しい曲線に思えた。
当時売っていたトミカがちょうどグリーンメタリックで、リヤの曲線を綺麗に再現していた。
自分の小遣いで買えた117クーペを手のひらの上でなで回す日々だった。
それでも丸目4灯のフロントマスクは今ひとつ好きになれない印象だった。ライト下端が
ボディに食い込み、ライト間にも無駄な隙間があるように見えることが具体理由だが、
この車以前のいすゞ独特の、えぐみのあるフロントマスクのにおいが若干残っている
ようにも思えたのであった。
しかし80年代の声を聞く頃、角形ライトが流行り始め、やがて117にも取り入れられた。
兄弟車のフローリアンには60年代から角形ライトが取り入れられていたが、117は
オリジナルデザインがジウジアーロであったことから大幅な変更が躊躇されていたので
あろうか。とにかく登場から10年を経ていた117のてこ入れとして、販売面からの判断での
変更であったのだろう。この判断は古くからのいすゞファンには不評でもあったのだが、
私はようやくリヤとフロントのバランスがとれたと思った。リヤランプの造形にマッチする
フロントランプはこの形だったのだと改めて思える好デザインである。
やがて免許を取り、自分で車を購入できるようになると、当時すでに生産終了後であった117を
探した。車屋からの連絡が来て実車を見に行くと、紺のような、グリーンのような微妙なメタリック色の
スターシリーズ☆☆XCであった。これには初対面で心を奪われ、即決で購入することになった。
デザインのみならず、日常用としてもこの車は優秀であった。SOHCのXCであったこともあるが
MTでリッター13km走る。1950ccのGTカーとしては申し分ない数値であった。また、車体に使われている
鋼板の厚みのためか、ドアの閉まり、車の挙動の際に感じる重厚感は、さすがいすゞが金をかけて作った
イメージリーダーカーであると感じさせるものであった。クーペにもかかわらず後席が十分実用レベルであることも
美点であった。何しろ同時期のクーペの中には、後席とは名ばかりで実際は荷物置きにしか使えないリヤシートを
載せていたものも多かったのである。
反面、錆には弱かった。凝った車体の構成のため、雨に濡れると水の溜まり箇所があちこちにでき、
素直に地面に落ちて行かない。デザイン上の理由で雨溝となるルーフレールを設置していないこともあり
雨中でドアを開けると大量の雨水が屋根から室内に滴り落ちた。そのため、特に屋外保管車では
機関には何の支障もないのにボディだけやられていく例が多かった。自分の117も同様で、
入手後6年ほどでボディに穴が空いてしまい、手の施しようが無くなり手元を離れた。
117クーペにはハッチバックのコンセプト提案もあったが、これはそのままでは実現せず、
後のピアッツァに引き継がれて開花することになった。
117クーペ 1968−1981
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