スズキは他のメーカーに比べれば車名を大事にするメーカーで、長い社歴の上でも消してしまった名は数えるほどである。
(スズライト、フロンテ、X−90、カルタス、セルボ、ハッチ、キャラ)その中でも今なお人気を誇る車にカプチーノがある。
スズキはオートバイメーカでもあることから、スポーツ車製作の技術には決して不自由しない筈ではあるが
フロンテクーペ−セルボ以来、アルトにワークスを設定した程度で、はっきりしたスポーツモデルには案外
積極的ではなかった。会社の規模から1車種の失敗が大きく響く関係上やむを得ない面もあったのだろう。
それでもバブルという時代に乗って、各社が思いきったモデルを投入してくるとさすがに慎重なスズキも何もしないわけにはいかなかった。
1991年5月、先にホンダが2シーターオープン軽ビートを発売すると追って11月、同じ軽オープン、カプチーノを発表した。
客観的には単なるビート対抗馬かと思われたが、スズキの思いはそこにとどまらず更に上を目指していた。
「軽で2000cc級の性能を」という目論見が感じられ、660ccの排気量から最大のパワーを取り出すために
DOHCにターボを装備し、自主規制最高数値の64馬力を誇った。自主規制がなければ更に上の数値さえ狙っていたかも知れない。
ビートに比べボンネットは長く、軽とはいえ、あくまで本格的スポーツの形を踏襲していた。
実際乗った人の印象では乗り味さえ本格的なものだったという。まさにスズキらしい真面目な作品であると言えよう。
ビートとカプチーノのどちらが優れているか−−−これはしばらく話題になり、双方の肩を持つ
人々が街でも誌上でもそれぞれの意見を披露しあった。そのうちやや遅れてオートザムAZ−1が
加わった軽スポーツ談義は華やかであったが、その内容は「もし自分が乗るのだったら」という
仮定に留まるのがほとんどで、実際に購入する人は短期間の内に激減していった。世の中全体の
経済状況そのものが急激に悪化したことに加え、スズキが1993年に出したワゴンRが空前の
ヒット作となり、スズキ自身がそれ以外の車種を苦労して売る理由が無くなったことが大きかった。
同じ1993年にマツダ(オートザム)AZ−1のOEMとして出されたスズキキャラなどは
ほとんど販売努力もされずに1年程度で姿を消している。
キャラ:名前も手抜き?
車自身の責任は皆無ながら、ワゴンRの好調な売れ行きの傍らでカプチーノは不遇を耐える余生となった。
それでもビートやAZ−1よりは長命で1998年の軽規格の大変更までは生き延びていた。
軽ながらかわいらしさを打ち出さず引き締めたフロント造形、前輪後方に段違いに
2つ並べたダクト、敢えて幌にせず分割式ハードトップにしたルーフなど惜しむべき
ものはたくさん持っていた車であった。しかし、新規格に合わせてモデルチェンジを
施すほどの売れ行きもなく、ワゴンRの注文をさばくだけでも必死のスズキは「スポー
ツタイプはワゴンRRだけで十分」という判断をし、カプチーノを斬ったのであった。
1991−1998
TOYOTA NISSAN MITSUBISHI MAZDA HONDA DAIHATSU SUBARU SUZUKI ISUZU 他