1960(昭和35年)、トヨタのクラウンに対して日産が放った対抗馬は、クラウンの1級上の車格を意識させる
縦型左右複灯の厳めしいデザインの車だった。屈曲ガラスのフロントウィンドウ使用が技術的に可能になり、
その技法を積極的に生かそうと、サイドまで大きく回り込むラインをとったため、フロントドアウィンドウが逆スラント
してしまうほどの大胆なデザインになっていた。
現代の感覚では、これがわずか1500ccの車とは思い難いが、当時はそれで立派な高級車。メッキで飾り立てられ
知事や市長が乗るにも相応しい外装を与えられていた。車内は現代のホンダフィットより狭かったはずであるが、
運転手付きで乗る種の車だったわけである。
1965(昭和40年)、セドリックは初めてのフルモデルチェンジをした。
ボディはだいぶ厚みがとれ、垢抜けた感じになった。当時流行したピニンファリナの
デザインであったという。公用車以外に使いようがなかったような先代に比べれば
色によっては自家用とも言えなくはないという程度の柔軟さが感じられる。
しかしそれでも個人で購入するにはまだ高額過ぎ、パトカーや裁判所の公用車というイメージが強かった。
個人で購入してもおかしくはないデザインはこの辺から。1971年(昭和46年)
プリンス自動車出身のグロリアと兄弟車化されて出された形は、シンプル且つ
ラグジュアリーである。この形はこのあとの4代目は当然のこと、他車にも影響を与えた。
当時のローレル、スカイラインのボディラインに共通するものが伺われる。
ピラーレスハードトップ(前席と後席間の窓枠がない)が採用され、開放感のある
空間が演出された。自家用車としての個人購入が前提のデザインである。
セドリックとしては4代目。更に押し出しの強い威圧感を加えて登場する。起伏の強い
バンパーや、筋肉の盛り上がりを連想させる後部ドア上のラインなど、力強くはあるが、
クリーンな印象の先代に比べ品は落ちる。政治家が乗れば、少々汚職に手を染めて
いそうにも見えてしまうかもしれない。クラウンに比べ、デザインでの自己主張が強い
ということもあり、公用車としてよりはタクシーとしての採用が目立っていたような気がする。
オイルショックの頃の誕生ということで、排気ガス規制にがんじがらめのエンジンでは
のったりとした走りしかできなかったということであった。
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