チェリー1200 1970年型
チェリーは日産が合併吸収したプリンス自動車の技術者が構想した、日産初の
量産FF車である。今でこそ小排気量車の駆動方式は当然のようにFF(前輪駆動)
となっているが、チェリーが登場した頃はルーチェロータリークーペ、スバル1000など
ごく一部の車に採用されていたに過ぎなかった。当時の技術が発展途上だったこともあり、
ステアリング操作に現れる独特の癖が警戒されたこともあるが、「車は後輪駆動」という
大衆の既成概念が容易には変化しなかったことが大きな要因であった。
当時としては切りつめられたオーバーハングや明るいイメージカラーのおかげで、軽快な印象
を持ったチェリーは、比較的固定観念の薄い運転初心者や変化を好む人々に受け入れられ
ていった。日産チェリー販売という社名にも現れているとおり看板車種のひとつになったのである。
車体は2ドアと4ドアのセダン、それに2ドアバンがあり、セダン、バンとも「アイラインウィンドゥ」と
呼ばれる切れ上がったリヤウィンドゥがチャームポイントであった。当時のスカイラインやブルーバード
が直線基調の剛健なデザインだったこともあり、チェリーの形には遊びが感じられた。
チェリー X1
横から見ると妙に腰高で落ち着かない感じを受けるのだが、反面それが活動的にも見え、
スポーツタイプへの期待も高まった。動力的にはX−1というグレードでそれに応えていたの
だが、車体は2ドアセダンそのものだったこともあり、よりイメージを高めるため1年後にはクーペが発表された。
クーペのデザインは奇抜そのもので、プレーンバックと呼ばれるそのリヤスタイルは2ドア
ワゴンといっても良さそうな荷室を備え、車格がアップしたような量感を感じさせるものだった。
また、レザートップやリヤバイザー、オーバーフェンダーなどの装飾品も多種準備されて
スポーティな雰囲気を楽しめるよう配慮されていた。実際、ドライブシャフトを持たない軽量車
でもあるため、(1200ccで690kg)1000−1200ccという小排気量車であったにもかかわらず、
1600cc程度の上級車と同等の運動性能を持っていたようだ。
参考:1970年型スプリンター1200ccが755kg、2004年型マツダデミオ1300ccが1080kg
チェリークーペ 1971年型 リッターカーには見えない
チェリーセダンとは同車種に見えないほどの大胆な造形と、わずか1000−1200ccとは思えない量感。
このリヤスタイルには賛否が顕著で、それだけ冒険的なデザインであったことがわかる。個人的には
大いに心の動く、官能的な形であり、117クーペのリヤデザインに肩を並べるほどのインパクトがあると思う。
巨大なリヤクォーターピラーが視界を塞ぎ、バックする際に後方がほとんど見えないなど、実用上の問題も
あったようだが、デザイン上の特徴は次期型にも引き継がれてゆく。
1973年型 X−1R
オーバーフェンダーが装着されている。
チェリー 3種のボディスタイル このほか4ドアもある
荷室は広大
チェリーFU クーペ
1974年、フルモデルチェンジ後はFUシリーズとなり、車体も若干拡大された。排気量は1200−1400ccに
アップされ上級移行し、日産のリッターカー(1000cc)クラスは空白となった。
クーペ リヤスタイル
クーペのリヤガラスは後方視界に配慮し、高屈曲ガラスとなった。後部スペースは先代同様広大なもので、
大きなテールゲートを備え、かなり大きなものでも楽に出し入れができた。
チェリーセダン
セダンは先代に比べ大人しめの形となり居住性も向上した。チェリ−をはじめとするFF車の良点も
一般に認識されはじめ、次第に他社も追随するようになった。トヨタからターセル/コルサ、三菱から
ミラージュが発表される1978年になると、日産はどういうわけか販売店名にまでなっているチェリー
の名を捨て、パルサーとしてモデルチェンジしてしまう。パルサー初期型クーペはチェリーのデザインを
色濃く残していたものの、次期型のパルサーEXAでは広大な荷室はカットされてしまった。
TOYOTA NISSAN MITSUBISHI MAZDA HONDA DAIHATSU SUBARU SUZUKI ISUZU 他