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コルト

 

 

コルトといえば拳銃・銃器の名で有名だが、三菱はこの名をかなり古くから自社の主力車に与えている。

 

1962年(昭和37年)、三菱500(600)の後継としての登場であった。

自動車会社のほとんどは、黎明期には車名を愛称で付けるという気の利いた

ことができず、会社名そのままあるいはブランド名をストレートに銘々していた。

(スバル360,マツダク−ペなど)しかし、複数車種をラインナップするとなると

その区別も必要となり、次第に愛称を取り入れるようになった。三菱も三輪車に

レオ等の愛称を既に付けていたものの、乗用主力車の愛称導入は他社に比べ

遅かった。選んだ名は「コルト」−−子馬の意味であるという。

 

 

三菱500が余りにも不格好であったとして出された改良型であったはずだが、

性能、デザインとも余り変わり映えせず、不評は拭えない。そこで翌年、早くも

上級版の1000が登場する。今度は600の失敗を改善し、オーソドックスな

四角い車体を提案してきた。面白みは全くないものの地味好きの当時の年配に

は受け入れられ、ようやく三菱は乗用車メーカーとして認められるようになる。

 

 

 

三菱はコルト1000をこのあと1100〜1500まで拡大していくが、それとは別に

コルト800という全く違った同名異車を生み出す。クーペ状ファストバックの2サイクル

エンジン搭載車がそれであるが、ファストバックなのに何故か格好良さからは縁遠く

2サイクルの吐き出す白煙と、安っぽい排気音も相まって全く田舎臭い車に仕上がって

しまっていた。現在の目から見れば斬新にも見えるが、当時の三菱デザインは一般に

野暮ったいものとして受け止められており、若い人は余り興味を示さなかったようだ。

 

 

 

結局この車にも後には4サイクル1000/1100のエンジンが載せられることになり、

四角いコルトと併売される。なぜ三菱が同名異車種を出したかったのかは曖昧なままとなる。

しかし、このファストバックコルト1000Fはサザンクロスラリーに出場し、現在まで続く三菱の

ラリー車の元祖となる功績を残してもおり、全く無駄だったとまでは言えないようである。

 

 

最終的に四角いコルトとファストバックコルトはギャランへの代替わりで統合される。

1969年、ジウジアーロが関わったのではないかとされるグッドデザインの精悍な

コルトギャランが現れると四角いコルトもファストバックコルトも一気に古さが露呈した。

しかし、三菱は余りの変化に顧客離れを心配したのか、旧型2系統とこの新型コルト

ギャランをしばらくの間併売した模様である。幸いなことにその心配も杞憂に終わり

続くギャランGTO、FTOとも三菱の乗用車のイメージを大きく好転させていった。

 

 

 

その後出したランサーも新型ギャランも当たり続け、三菱の乗用車はしばらくの間

大隆盛時代を過ごすことになる。コルトの名は間もなく消えたが、ラリー参加の相次ぐ

成功もあってシェアもトヨタ、日産に続く3位に座ったほどであった。

 

 

しかし、21世紀に入ると三菱には逆境の時代が訪れた。2度にわたるリコール隠しと

その発覚によって三菱車のイメージは地に落ち、一時は「生産撤退」の推測もされる

状態になっていた。デボネアはもちろん、ディアマンテ、GTO、FTO、ミラージュそして

ギャランさえもがその名を消され、三菱の乗用車の消滅は時間の問題かと思われた。

 

 

 

2002年、そんな逆境の中、瀕死の三菱が頼ったのは30年ぶりに「コルト」の名で

あった。CMのキャッチコピーは「まじめ・まじめ・まじめ」...死者も出すほどの支障を

隠し続けた三菱が口に出すのもおこがましいようなセリフであったが、とにかくこれが

三菱の最後の頼みの綱だった。車の形はセダン、ハッチバックという従来の区分に

該当しないかたまり感の強いぼてっとしたもので、私は好きではないが世間の好みには

そこそこ合ったようであった。あれだけの問題を起こしながらも未だに三菱が車の

生産を続けていられることをこの「コルト」の功績?といってもいいのであろうか。

 

 

 

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