スズライト 1955年
スバル360の大成功の3年ほど前、スズキは既に軽乗用車の量産に成功していた。
スズライトというその車は、360ccとはいえ普通乗用車にも見えるそのデザイン。
当時の最小径ホイールが普通車のものしかなかったことや小粒のヘッドライト、
そして精一杯横長に拡げたフロントグリルなどによる相互作用の成せる業である。
スズライト・フロンテ360
スズライトは基本的にはドイツのロイトのコピーであったため純粋な
スズキの作品と言うには無理があった。そしてセダンと商用車双方が
企画されたものの、当時の社会事情に鑑み商用車のみが残された。
スバルの成功を見たスズキはフロンテのサブネームを付けた乗用車を
1967年に市場に投入する。スバルとは正反対の前置きエンジン前輪駆動
(FF)の機構は先代と同じであった。この機構は現在軽自動車に広く採用されて
いる合理的なものであるが、当時の認識では「駆動するべきは後輪」との不文律
のようなものがあり、一気に発展するわけではなかった。技術不足から後輪駆動に
比べ、ハンドリングが劣る、前輪の減りだけが早いといった欠点もあったのであろう。
初期の前方向器は白色灯
軽自動車の理想的なレイアウトであるFFを早々と定着させたように見えた
スズキではあったが、スバルの成功を横目にみてFFをあっさりと捨ててしまう。
1967年に登場した2代目フロンテには一転してリヤエンジン・リヤドライブ(RR)
の方式を採用し、スバルに追従した。この大変更のためか、あるいは魅力的な
洒落たデザインのためか、スズキの軽自動車市場でのシェアは一気に拡大し、
同社が二輪車会社から軽自動車代表メーカーにのし上がる礎がここに完成する。
曲線重視のデザイン
RRであるためフロントグリルは不要なはずだったが、あえてダミーを設定。
リヤにもノッチを付けて小さくとも乗用車としての気概を表に出そうという
積極的な意志が見て取れた。一部車種には当時のスポーツカーのように
透明ライトカバーを設置するなど、若年層に訴える工夫も見せ「軽のスズキ」
を各年齢層に浸透させていったのである。コークボトルスタイルといわれる
複雑な曲線の採用は、他社よりも軽自動車に注ぐエネルギーが大きいことを
主張していたようにも思えた。事実、無理して開発・販売する必要がなくなった
フロンテ800はこの360の成功により静かに降板していったのであった。
商用フロンテ
バンとセダンのデザインを共用しなかったこともフロンテのスペシャリティな
イメージを高めたかも知れない。当時の他社は乗用車の後ろを伸ばしたタイプを
バンとして位置づけており、ダイハツフェローにはセダンと同じ顔をしたトラックまで
用意されていたほど、乗用と商用の共用化が見られていたのであるがスズキは
全く別デザインのフロンテをわざわざ商用車として用意した。これだけのコストを
掛けてまで、コークボトルの曲線を乗用車専用にしたかったのであろう。
フロンテSSS
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