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フローリアン

 

 

ショーモデルの際には「いすゞ117サルーン」とされていた、正に117クーペの兄弟車。

車台が同じであるため『元は同じ』車であるのだが、これほど受け入れられかたに差のある

兄弟車も珍しい。片やエレガンス・クーペと褒め称えられる時代の花形。それに比して地味な

6ライトウィンドウの背高セダンは爺さんグルマの扱いであった。発売は昭和42年(1967)

に開始され、ベレットより上の、いすゞベレルのあとを継ぐ上級セダンの位置に着いていた。

 

 

 

今見れば変形角目のフロントマスクは落ち着いた上品なものである。デザインはクーペと同様

イタリア外注。ギア社が担当したといわれる。クーペと並べられてしまえばひとたまりもないが、

落ち着きすぎて躍動感に欠けるとはいえ、セダンとしては優秀な造形であろう。ウィンドウを変に

寝かせることなく室内空間を確保した点は実用的にはたいへんな美点である。それでも若干

リヤウィンドウ周辺にはセミファストバックに近いような処理も見られるなど、

室内空間を犠牲にしない範囲での控えめな遊び線が取り入れられてもいる。

 

 

もっともボディはセダンだけではなく、バンも用意されていた。当時の車はメーカーの

最上級車であっても同じ顔のバンやピックアップトラックが用意されていた時代である。

 

 

 

 

 

 

昭和45年(1970)には異形角目が一般的な丸目四灯に改められ、他社のセダンに

近い雰囲気になった。外国車臭さは薄れ、車格は若干下がった感じに見えた。

バリエーションは増えてTSと呼ばれるツーリングスポーツから、ディーゼル、バン、

更にはファスターと名付けられた同じ顔のトラックが姿を現した。

これは、従来のベレットと同じ顔のワスプの後継であっただろうか。

 

 

 

いすゞの常で、モデル寿命は長寿。フローリアンも例に漏れず、誕生10年を経て昭和52年、

(1977)更に意匠変更が行われ市場に留まった。今度の変更は高級感の演出。可能な限り

の飾り立てが行われ、メッキ部品が目立つ仕上がりとなった。延命モデルのあがきともとれるが

しかし決して下品ではなく、揶揄ではあるが「ミニロールス」などとと呼ばれることもあった。

 

 

しかし、このころになるとわざわざ高額を支出して10数年前の化石車を購入する個人は

少なく、タクシー会社、自動車学校などが大量に導入する例が多かった。ディーゼルの

教習車では、信号待ちでシフトレバーから手を離すとブルブル揺れて手探りで掴み直すのが

難しい、などという本当か嘘かわからないような話も流れていた。つまり、それほどこの車に

よって免許を獲得した人も多かったのである。知らないうちにフローリアンの運転を経験し、

忘れたままになっている人は40代以上の人にはかなりの人数がいるはずなのだ。

 

 

フローリアンの名はオーストリア皇帝の白色の愛馬に由来するものだという。名前の響きは

美しく、使い捨てるにはもったいないものであったが、昭和58年(1983)、後継のアスカに

モデルチェンジ直後の一時のみ冠せられたあと、再び用いられることは遂に無かった。

 

 

 

 

 

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