コスモスポーツで「ロータリーのマツダ」を印象づけた東洋工業は、そのままの勢いで所有する
ほとんどの車種のボンネット内にロータリーを持ち込んだ。ルーチェ、カペラ、そしてファミリアにまで。
当時確かにロータリーエンジンの動力性能については評価されていたが、同時に燃費についての悪評
も付いて回っていた。動力マニアのみへのアピールでは大量販売は望めない。
ロータリーイメージのないレシプロエンジン専用車には新しい車名が必要だった。
ファミリアにはすでにロータリークーペの他、4ドアセダンにもロータリーを積み込んでおり、ロータリー
イメージを離れられない状況になっていた。そして華奢な車体に高性能エンジンを積んだ結果、ボディや
ブレーキの能力不足が指摘されるなど、安心して乗れるファミリーカーのイメージを失おうとしていた。
ファミリアではない、が無名からの出発でもない折衷案から出たのか、発表された名前は「グランド」ファミリア。
そして、開発費の節約のため、サバンナとのボディ共用、レシプロファミリアとのエンジン共有。ファミリアを併売
することによって、上級感の演出もできる。決して裕福ではない会社の事情の中で知恵を絞った登場のさせ方だった。
立場上は、華やかな扱いのサバンナのB面のような存在ではあったが存在感はしっかりしていた。
グランドファミリアのヘッドライトは角形二灯。同型ボディのサバンナの丸形四灯とは間違いようのないデザイン上の
違いだった。当時少なかったこの角形灯は、サバンナよりむしろ落ち着いた大人のイメージを演出し、ロータリだけが
マツダではないことを静かにアピールするものであった。1971年の登場から2年、公害対策規制が厳しくなると、AP
(アンチ・ポリュージョン)シリーズを出し、同じ頃に吹き荒れたオイルショックによるロータリーエンジンバッシングの中、
マツダの危機を支え続けた。とはいえ、「マツダの車は悪燃費」というロータリー車と一緒くたの見方から、
レシプロ専用車でありながら煽りを食って、大幅値引き販売をせざるを得なくなってしまったこともあった。
1975年のマイナーチェンジでは、優雅な顔立ちを演出していた角形二灯が、全く平凡な丸形二灯に変更され、
ただ大人しいだけの廉価版の車のイメージが強くなってしまう。同時に存在していたファミリアプレストとの差も
はっきりしなくなってしまった。1977年のファミリアのモデルチェンジでプレストと一本化され、グランドファミリアは
一代限りで姿を消した。しかし、以降ファミリアはロータリー搭載車ではなくなり、グランドファミリアのマツダ内での
立場はそのまま最後までファミリアに引き継がれていた。
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