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日野 コンテッサ

 

 

 

今はトラック専門業の日野自動車は、トヨタに吸収合併される前には乗用車生産にも取り組んでいた。

まだ国産車が心もとなかった頃、フランスのルノーをノックダウン生産方式で国産化を実現し、タクシー用車として成功した。

 

 

日野ルノー

 


 

その後、純国産化を志した日野は、ルノーを基に900ccの新型車を企画した。ルノーの機構を

踏襲して後エンジンリヤドライブ(RR)。この車はデザインこそミケロッティに依頼したものの設計は

日野オリジナル。1963年の第1回日本グランプリのツーリングカークラスで優勝を果たす活躍を見せた。

 

コンテッサ900 1961年

 

35馬力エンジンをリヤに納めているためリヤドアの後端のラインを境に後のフェンダーが一段高くなっており

その隙間からエンジン冷却用の空気を取り入れていた。

なお、コンテッサとは伯爵夫人の意味だそうだが、意味を知らなければ垢抜けしない車名に聞こえる気がする。

 

 

2代目コンテッサ

 

1964年には、同じミケロッティのデザインによる2代目のコンテッサが登場した。トリネーゼスタイルと

いわれるその姿は、登場すると間もなく注目を集め、国際エレガンスコンクールなどで幾度も賞を受けるに至った。

駆動方式は依然RRの為、後ろが長いのが特徴であるが、それもまた他車との違いが明確になるポイントだったのであろう。

 

 

1300クーペ

 

いくら多数の賞を受けたとはいっても、どうもすんなりなじめない印象の車であった。すましきった無表情なフロントの

デザインと、通り過ぎたあとに見える、グリルが刻まれた無骨なリヤスタイルが同じ車とは思えないのである。リヤエンジン

の車である以上、後ろにグリルがあるのは仕方ないのだが、なにせ見慣れないこともあって違和感が拭いきれない。実車

を目の当たりにすると、後ろから見た姿がどうしてもブルドーザーなどの作業車に類するイメージになってしまうのである。

 

後ろを開けると現れるエンジン

 

上半身はファッショナブルな衣装に身を包んだ貴婦人が、下半身はもんぺに脚を突っ込んでいる。

そんなちぐはぐなイメージを頭に想い描いてしまうほどリヤスタイルの印象は強烈だ。

写真だけではわからないかもしれないのだが。

 

 

1966年に日野自動車が乗用車生産をやめることを決め、翌67年までに在庫整理を終えると

急速にコンテッサの姿は身の回りから消えていった。この車は中古としてもそう長くは使われな

かった気がする。本来トランクにあたるところにエンジンが収まっているため、たいして容量のない

フロントに荷物を積まねばならなかったことも早く消えた要因のようだ。一家に複数の車など望め

なかった時代に、荷物の入らない車は立場が弱かったのである。また、メーカーが乗用車生産を

うち切ったということから、見放された車、という印象もあり安心感を損ねたという事情もあるだろう。

 

 

日野自動車の社員駐車場には律儀にも数多くのコンテッサがひしめいていた。選択肢のない自動車会社の

社員は気の毒なもので、せいぜい色だけしか自分の好みを表せない。しかし、乗用車生産打ち切り後は主に

トヨタの車ではあるが、多種多様な車が駐車場に収まっている。日野の社員にとっては自家用車を自由に

選べる今のほうが、当時よりいいのかもしれない。

 

 

 

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