1989年に発表されたレガシィは、一時期レオーネの後継ではないかといわれたが
車格が一級上であることから価格上も直接の後継とは成り得なかった。メーカーもその辺りの事情から、
既にモデル寿命の過ぎたレオーネをすぐには廃止せず、レガシィと併売。実質的後継のインプレッサまで繋ぐこととなった。
1992年登場
初期型にはグリルを塞ぐデザインもあった
スポーツワゴン
大量の荷物積載は実生活上ほとんど無いということはみんな承知であったが
レガシィが火を付けたとも言えるワゴンブームでは、台数を売ろうとする車には
ワゴンの名が必要だった。そこで、大量貨物の積載を前提としないタイプの車
(従来でいえば5ドアハッチバック)にもワゴンの名が冠され、発売された。
スポーツワゴンとは、運動性能を損ねない程度の重量増でワゴンの形態を
成すというアイディアで、後に広く受け入れられることになる。スポーツ性のみならず、
ワゴンにしては軽快な外観がファッション重視の人々にも好まれたのであった。
レガシィ同様 ワゴンも人気
インプレッサ登場前 ラリーではレガシィが使用された
インプレッサはモータースポーツの場にも投入され、戦績を挙げてゆく。
WRCラリーでは屈指のラリーカーとして強さを見せつけることになる。
WRX STi等ラリーイメージのグレードも人気を集め、ランサーエボとの間でライバル関係も生まれた。
ラリーには一時、2ドア仕様のモデルも投入され、市販車の大人しいバージョンではリトナの名前で販売された。
2ドアモデル
2ドアモデルはどう見ても2ドアセダンの形態であるが、メーカーではスポーツクーペとして発表した。
スポーツワゴンに加えて更なる人気増を狙ったものであったかもしれないが販売的には不成功で、
短期間の内にラリーカーは4ドアに戻され、2ドア市販車もカタログから消えた。
スバルの軽自動車、ヴィヴィオがレトロ風味のビストロなるモデルで女性の間に
ブームを巻き起こしたのに便乗して、インプレッサにもカサブランカなるモデルが
設定された。ヴィヴィオ同様、前後のデザインを大幅に変更したものであったが
バランス的には変に前が重く、顔だけとってつけたというのがあからさまになっている
状態だった。ノーマルのものが端整な顔立ちであったこともあり、ヴィヴィオのビストロ
のようには受け入れられなかった。5000台生産されたともいわれているが、
街ではほとんど見かけず、実数はもっと少ないのではないかと思われる。
カサブランカ仕様
2000年、7年の長きに渡って売れ続けた初代は退き、2代目が登場した。ところが
その顔が大きな丸目のとぼけた顔であったため、従来のインプレッサファンの離反が起き、販売台数は伸び悩んだ。
ヘッドライトは異形丸目に変更
ボディスタイルは大幅な変更もなく従来の形を引き継ぐものであったが、この顔が
販売不振の元凶であると判断したスバルは僅か2年で全面的な顔の整形を断行する。
しかし、これがまた失敗手術とも思われる出来で、言うなれば先代モデルのプラ模型を
ストーブの近くに置いていたら熔けてしまった、とでも表現するしかないデザインになって
いる。それだけ先代のデザインが秀逸であったとも言えるし、ボディのイメージを
そのまま残したがために、顔の不出来だけが大きく目立ってしまったとも言える。
何とも中途半端な形のライトがグリルから離れることによって更に締まりがなくなり、
表情的には先代の精悍さもマイナーチェンジ前の愛嬌をも失った。
横から見る姿はそれほど悪くはないだけに、正面からのこの姿は残念である。
せっかくのフェイスリフトも功を奏さなかった
全体的に締まりのない形は「レガシィになりたい」下心の迷いにも見え、インプレッサの
位置が揺らぎかけているのがわかる。むしろ、レガシィとの違いを明確にし、
先代のように活発なイメージを大事にして行くべきではなかったろうか。
スバル車はモデル数が少ないので、1車のデザインの失敗は大きな痛手となる。
特に中心となるレガシィやインプレッサの比重は大きく、次期型のデザインの成功が切に望まれる。
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