昭和42年(1967)にホープ自動車が開発した軽4駆の製造権を鈴木自動車が買い取ったところからこの車の歴史が始まるという。
アイディアを買ったということであろうが、この時代の知的所有権がどの程度厳密に認識されていたのかと考えさせられる。
というのもジムニーのデザインは、ほぼジープそのものであり、そちらの方で訴えられることはなかったのかと思ったからである。
三菱は戦後ウィリス社と契約を結び、生産しているので知的所有権の感覚はアメリカから導入されたものであることは間違いなかろうが、
ホープ自動車の軽4駆ホープスターONや、そのアイディアを使って作られたというジープそっくりのジムニーにはクレームは付かなかったのだろうか。
ジープのミニ版、ジープ・ミニ(jeep/mini)がジムニー(jimny)の語源かと思えるが、
さしたる問題も起こらず1970年ジムニーは世に出た。360cc空冷エンジンの非力ながらも
軽量な4駆は、使い道が案外豊富で販売的にも成功を収めた。ボディタイプはオープン
(幌)のみで、スペアタイヤは助手席の背に付けられ定員は3名だった。スペアタイヤは
助手席のヘッドレストも兼ねるような配置が為されていた。農業用にも大分使われたらしい。
ドアも取り外しが出来、代わりに安全のため鉄のバーを渡す方式になっていた。
その後、バンが追加され、2サイクル水冷になり排気量も550ccに拡大されるようになって
更に支持層は広がった。フェンダーの灯火類は片側それぞれ2個になったのがデザイン上
はっきり区別が付く点である。雪国の隅々にもその姿が見られるようになり「バラロンバラロン」
という排気音と白煙がなじみ深いものとなっていった。他の軽自動車はまだ後輪駆動だった
こともあり、雪国では立ち往生して冬期間使い物にならない場合が多かったためでもある。
排気量を800ccに拡大したジムニー8も少量造られオフロード愛好家の要求にも応えていた。
ここまでは車体とフェンダーが別部品となった前時代的な姿をそのまま踏襲し、車体色も
オリーブグリーンとカーキの軍用色しか用意されていなかった。市民が様々な用途に使用して
いるにもかかわらず、「ジープ類はこの色」という先入感にメーカーは縛られていたのであろうか。
さすがに古くなったデザインを登場から11年を経て改良。フェンダーはボディと一体化され、
赤や白など、乗用車に準じた車体色の設定も施された。ただ基本設計は大きくは変わらず先代程ではないものの、
乗り心地はやはりトラックの荷台に近いものだったようだ。幌の設定もあり、相変わらずワイルドなイメージは残っていた。
その後、2サイクルが消えていき、ターボが追加されるなどして高価格化も進んだ。ボディは基本的には
大きな変化が加えられることはなかったが、ルーフにガラスが用いられるなど乗用車化が顕著になった。
パノラミックルーフ
それまで独占市場であったこのジャンルに1994年、突然ライバルが現れた。
三菱パジェロミニ。当時大ブームとなったクロカン4駆の中でも最大の人気を
誇ったパジェロの末弟として投入された強敵であった。ジムニーは一部に確固と
したファン層を持つがイメージは硬かった。
そこにお洒落なミニとして三菱が売り込んできたライバルがジムニーの市場を食い荒らしていった。
ここで浮かぶ疑問。ジムニーが誕生する際にはそのコンセプトを入手するため
スズキはホープ自動車よりアイディアの買い取りをおこなっている。三菱が軽オフロード
4駆のパジェロミニをを造る際には同様の手続きは全く不要だったのであろうか。
旧型に似せたマスク
1998年にモデルチェンジした際には幌車は残されなかった。デザインは更に乗用車的になり、
若干丸みを帯びてハードな感じは薄れた。ただ、フロントグリルにはジープのイメージを残し、縦の
スリットを残したのであった。この顔については特に白ボディの個体では「ドクロ」と言われる個性的
なものであったが、のちに当たり障りのない平凡なものに換装されてしまった。車体イメージでは
むしろパジェロミニの方がハードなイメージになってしまったかもしれない。伝統のオープンを廃し、
丸みを取り入れてまで乗用車化したことにはファンはあまり賛同していないようで、この型の登場後
却って旧型の愛好者が盛り上がってきたような具合である。せめて今からでもオープンタイプを復活できないものだろうか。
外見はどんどん乗用車化
TOYOTA NISSAN MITSUBISHI MAZDA HONDA DAIHATSU SUBARU SUZUKI ISUZU 他