「レガシー」でなく、「レガシイ」でもなく「レガシィ」である。このあたりはスバルがこの名にこだわりを持って
いることが伺える。本当なら更に「レガスィー」までの発音を求めたいのだろうが、そうなると田舎のオジサンが
「はずがすぃー」(恥ずかしい)と流暢に発音する様と重なって、却って垢抜けしなくなることを怖れなければならなくなる。
1989年、「10万キロ世界速度記録を達成!」と何のことだかわからないながら凄いんだろうと思わせるCMが
TVに流れ始めた。しかし、画面にスポーツカーの姿はなく、ただのセダンが一生懸命走っている姿が映され
ているだけだった。そして滅多に新車種を出さないスバルが新しい名の車を出したのだということを知った。
1989年といえば元号に直すと平成元年である。長い昭和が終わり、世の中の誰もが、何が変わるか
期待と不安を持って毎日暮らしていたところに敢えてぶち当てたスバルからのメッセージであったのであろう。
記録挑戦中
当時のスバルの主力はレオーネであり、それも垢抜けない雪国専用のオジサングルマの印象だった。
そこにこの意欲的なCM。この新車には、よっぽど自信があるんだろうということは伝わってきた。
レオーネとの関係は微妙なものだった。名が違うとおりまっすぐの後継ではない。かといって同様の
乗用車を複数車種抱えられるほどのゆとりは当時の富士重工にはありそうになかった。結論から
いえば後継車は後のインプレッサだったようだ。レガシィはその上級車という位置づけになった。
ただ、後にインプレッサが姿を現すことが出来たのはレガシィの成功があったからであり、富士重工が
はじめから現在の車種構成を狙っていたかは疑問である。願わくはレオーネの後継にスムーズに移行
して欲しかった車であったのだろうが、価格帯アップが及ぼす客離れも怖いため旧レオーネがしばらくの間
並行して販売されるという安全策が採られた。
初代 シャープなデザイン
社運をかけた宣伝の効果と、6ライトと呼ばれるリヤドア窓後方に追加されたガラスの醸し出した上級感により
レガシィは売れ始めた。加えて積極的なモータースポーツへの参加とツーリングワゴン(バンじゃない)という新提案が
従来のレオーネ支持層の雪国以外にも広く浸透し始め、地味な印象だった富士重工に華が咲いたのであった。
2代目
成功した初代の後を受け、1993年には順調に2代目が発表された。角が取れ、クセのない受け入れやすい
形の新型だった。ワゴン人気が一層高まり、2代目に関してはセダンが珍しい程の存在になってしまっていた。
バンとさして変わりのない形のはずであるが、この車のワゴンについては不思議なほど商業車の匂いがせず、
商用と兼用の他社のワゴンとは明確な違いを見せていた。リヤランプをゲートまで延長した形に見えるリヤガーニッシュ
と、さして意味のない付属物ながらルーフレールの存在が効果的なようだった。また、このレガシィの各所には当時
併売されていた同社の最高価格車アルシオーネSVXの面影が何となく見て取れるのがわかった。
若干なりともSVXのデザインに影響を受けているものと思える。
初代から2代目のレガシィに共通してみられる現象なのだが、フロントグリルのメッキに剥がれのある個体が
非常に多かった。メッキの剥がれなどという現象そのものが他社の車にはまず見られないだけに、
スバルに納品しているメッキ会社の技術が疑われる。
3代目
好評だった2代目であるが、5年を経てモデルチェンジが敢行される。このころには乗用ワゴンは広く
認知され、人気を集めるようになっていた。他社がレガシィの対抗車をそれぞれ用意し、人気にあやかろうと
していたがレガシィの地位は揺るぐことはなかった。このモデルのデザイン上の特徴としてはヘッドライトが
涙目状になっているところが挙げられるであろう。当時はポルシェはじめ、主に海外の車に涙を溜めた、或いは
流したような目(ヘッドライト)が見受けられるようになり「涙目ライト」などという表現も大っぴらになってきた時だった。
明らかに涙を溜めた目に見えるこのデザインは、私としては賛成しかねるものだった。先代の貫禄が失われている
と感じた。そしてフロントデザイン全体がほんのちょっと前に出たカルタスに似ているのも損であった。下級車種を
真似るはずもないのは明らかであるが、結果的に似てしまったというのはそれだけ車格に合うフロントデザインには
なっていなかったということでもある。
スズキ カルタス
可もなく不可もなくという代替わりであっても、既に確立した「レガシィ」というブランドは強力きわまりなかった。
王者トヨタがマークUにワゴンを設定しても、日産が対抗車アベニールをぶつけても消費者は揺るがない。
このカテゴリーの主役はレガシィに決定済みであった。後ろから来てもわかる「ドロドロ...」という水平対向
エンジンの音は、かつては田舎臭いとされていたがここにきてスバルに乗る者のステータスにまで高まっていた。
B4
見るかげなくワゴンの後ろに隠れてしまっていたセダンはこの代でB4として存在を強調され、プレミアムセダン
として注目されるようになった。イメージとしては無理せず買える、国産のアウディクワトロといったところか。
2003年のモデルチェンジで生まれた4代目は「鷹の目」といわれる渋く引き締めた顔で登場。車体全体にも
鋭く絞られた感じが見られ、万人向きの先代に比して、いかにも車好きのためのデザインという感じになった。
今までのレガシィからの脱皮という意向は各所に見られる。ずっと続いていた「商用車に見られないための」リヤの
処理、つまりリヤゲートにもテールランプ状のガーニッシュを付けるという手法をやめたことが外観上の例とすれば
内部の処理では排気系の見直しが敢行された。水平対向エンジンの特徴とされた「ドロドロ音」、言い換えれば
スバルサウンドを消してしまったのである。デメリットの解消という面もあるとはいえ、この変更を惜しむ人は多かった。
近年のスバルのヒコーキ顔の持ち込みは免れているとはいえ、いずれは影響があるだろう。
国産ドイツ車になろうという意識を感じさせながら、長年王座を守るレガシィの模索はまだまだ続く。
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