ピアッツァ

 

 

1979年、永らく続いたいすゞのフラッグシップ、117クーペの時代も終わる頃、その位置を埋めるものとして

アッソ・デ・フィオーリなるコンセプトカーが発表された。デザイナーは117と同じジウジアーロ。

この車は2年後の1981年、若干拡大されたものの、ほとんどそのままの形で市販車ピアッツァとなった。

 

 

当時の国産車の中ではその形は図抜けて未来的に見え、継ぎ目に段差が現れないフラッシュ・サーフェイス

という加工技術なども話題になった。しかし、スペシャリティ・カーの人気は同年登場のトヨタ・ソアラに集中。

「どんな男でもソアラに乗りさえすればモテる。」と言われたほどの社会現象になり、他車はその余波をまともに

受けた。中でも乗用車販売力の弱いいすゞではピアッツァの売り込みに苦心した。デザインの評価は高いとはいえ、

人気車ソアラの2000ccのグレードが166万円ほどで買えるときに、

それより安いピアッツァのグレードは最下位グレードのXGのみだったのである。

 

 

   

デザイン原案のドアミラーは当初 役所の許可が下りなかった

 

売れないながらも依然として内外装の評価は高く、特撮ものの操作機材のような運転席のサテライトスイッチは

運転中もハンドルから大きく手を離さず操作できるとして今後の主流になり得るかのような扱いであった。

それまでの117クーペがヘッドライトスイッチさえダッシュボード端まで手を伸ばさなければ

点灯出来なかったのであるから、これはかなり先進的と見られても当然であっただろう。

しかし、私個人としてはヘッドライト付近の造形が好きであった。完全なリトラクタブルではなく、ライト上部のみ

覆うタイプのものであったため、点灯しても外見が大きく変わってしまうことがないのが美点である。点灯と同時に表情が一変し、

いわゆるカエル顔になってしまう他のリトラクタブル車に比べ、イメージを損なうことのない造りは見事である。

 

 

デザインに比べ、動力性能は不評であった。エンジンは117クーペと同じ大昔のものを使っていたし、

脚周りにもそれ程コストをかけていなかった。それらのマイナス評価に対していすゞは敏感で、エンジン出力は

当時ブームの始まっていたターボで引き上げ、脚周りにはロータス、イルムシャーの力を借り大幅な改善に乗り出した。

すでにトラックメーカーのイメージが染みついていたいすゞがこのような垢抜けした手法で乗用車にてこ入れしたのは全く意外だった。

117クーペにさえ施した得意のディーゼルエンジンの積み込みもこの車に限っては、おこなっていない。

 

 

この車をあとから評する記事には、大抵、「現代でも十分通用するデザイン」と記されている。

しかし、真横から見た形はボンネットの長い、いわゆるロングノーズである。魅力的な形ではあるが、

現代のデザイナーはこの形を許さないだろう。室内スペース確保のため、あと20cmほどフロントウィンドウ

を前に持ってくるような変更をされてしまうに違いない。その意味では現代のデザインでは消されてしまう

ところに、この車の美点が有ったともいえる。現代のデザインが最も優秀だとの思いこみが「現代でも

十分通用するデザイン」を誉め言葉のように誤解させてしまうが、これはむしろピアッツァには失礼な言い回しとなるであろう。

必ずしも今のデザインが昔より良いということはない。 

 

いすゞはピアッツァの顔に手を加え、ピアッツァ・ネロとして外国車販売会社ヤナセの販売網でも流している。

大幅な販売増につながるわけではなかったが、イタリアンデザインの国産車という特異な位置を顕わす販売法とも言えるだろう。

 

 

親しみを込めて「マヨネーズボトル」ともいわれた

 

敢えて独立したトランクを持たなかったこともあり、この種の車としては後席の居住性も悪くなく、

改良に改良を重ねた動力性能も数値的にはライバルに負けないほどになっていたが、ソアラに

加え、この時点ではホンダ・プレリュードもかなりの勢いを見せて売れていた。地味に品質向上を

続けるいすゞの努力もそうした波に飲まれてしまい、販売的に劇的向上を見ることはなかった。

 

1990年に生産が打ち切られた時点で国内総登録台数は40000台弱。うちヤナセ販売分は11000台ほどであったようだ。

国外販売分も含めると計110000台余りになるからこの種の車としてはそれ程少ないわけでもない。

そのため117クーペのように車名を廃されることなく、1991年には2代目が発表された。

 


 

2代目ピアッツァ

 

先代から受け継いだのはセミリトラクタブルのライトぐらい。排気量は200cc少ない1800。エレガントな

印象はなくなり、攻撃的な表情に一変する。初期のサバンナにも似たイメージの顔つきは

「いすゞ・ピアッツァ」として生まれたのでなければそれなりに支持されたのではないかと思う。

ロータスのサスペンション、レカロのシートなど、海外ブランドに身を固めた贅沢品であったため価格は高かった。

バブル時期とはいえ、元がジェミニのこの車に250万円近い値付けは全く受け入れられることはなかった。

 

 

この車登場の頃、ピアッツァファンの期待は実は別の所にあった。一部自動車誌でもたらされた、

「次期ピアッツァもジウジアーロデザイン」の情報による流麗なクーペである。しかし、その車は3ヶ月後、スバルからSVXとして登場した。

117から続く系譜の断絶を嘆くいすゞファンはその後まもなく、さらに「いすゞ、乗用車生産から撤退」の知らせを聞くことになるのだった。

 

 

ジェミニクーペ

 

2代目ピアッツァの元になったジェミニクーペにはヤナセ版があり、PAネロと名付けられていた。

こちらの方をピアッツァ後継車と思っていた人も少なくなかったほど2代目ピアッツァの影は薄かった。

 

PAネロ

 

ピアッツァの名が別のものであったらどうだったろうかと思うことがある。かつてピザが日本に入ってきたとき、

「ピッツァ」として販売したところ全く売れず、日本人に発音しやすい「ピザ」に改名して爆発的に普及した、という

話があった。「ツァ」という発音は難しいわけではないが、当時では馴染みが少なく口に出すのが気恥ずかしいような

音のように思えた。その点、トヨタの「セリカ」や「ソアラ」は話題にのせても違和感がない音になっている。この発音で

消費者にイタリアを意識させようという狙いもあったと思うが、「ピ」「アッ」のあと「ツァ」という発音は、

車のイメージに比べ、少々落ち着きがないように思う。

 

 

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