2代目 シルビア

 

 

1965年にダットサンフェアレディの派生として登場した初代シルビアはデザインの評価も高く未だに名車として

語り継がれているが10年後の1975年に2代目を襲名したモデルはほとんど忘れ去られている。

 

 

サニーの車台に日産の開発したロータリーエンジンを搭載しようとしたということが一部に知られているが

オイルショックの影響であっさりと見送られた。日産がロータリーに興味を示していたということが驚きであるが

実現していたとしても短命だったであろう。開発費に見合うだけの台数が売れたとは考えにくい。

 

 

結局ブルーバード用の1800ccレシプロエンジンで登場したこの車は、初代のイメージは全く受け継いでは

いなかった。当時の日産の流行である、囲まれ感の強い(ウィンドウが狭い)曲線重視の形は他の日産モデルと

同様に保守的な一般消費者には余り受け入れられなかった。「ケンメリより箱スカ」「ブルUより510」といわれ

直線基調モデルを消費者が懐かしんでいることが明々白々なときに、日産は強引に曲線モデルの投入を

続けた。サニーからセドリックまで全てのクラスで徹底したため大きく日産の顧客がトヨタに流れた時期でもあった。

 

 

しかし、各モデルともデザイン的に劣っていたものではなかったと思う。日産は古くさい四角い箱車から

全てのモデルを脱却させようとしたのだ。昭和40年代からの脱皮のようなことを考えていたのだろう。

年寄りには敬遠されたが一方で若年層の支持を増やすことは出来ていた。ただ、その支持層がお金を

持っている世代ではなかっただけのことである。つまり、シルビアを欲しいと思う人たちはいたものの

その人たちにとっては手の出しにくい金額だったということ。サニークーペが70万円くらいの時に

シルビアは100万円だった。さすがに初代ほどの高額車では無かったとはいえ当時100万円あれば

スカイライン2000GTが買えたのであるからシルビアを選択する人が少なかったのもやむを得ない。

 

 

フロントマスクが大きな2つ目玉により子どもっぽく見えるのは惜しいが、この車のボディラインの流れは

美しいと思う。特に斜めリヤからの眺めは素晴らしく、今でもこの角度からのスタイリングの日本車トップ

クラスといいたいほどである。無駄なトランク容量など考えなくてもよかった時代の「削って作った形」の

彫刻的美がそこにある。現代の車の太った尻だらけのリヤスタイルの中にあれば更に際立つ美尻であろう。

 

 

 

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