のちに通称「ハコスカ」などといわれるようになるが、1968年(昭和43年)の出始めには特にキャッチフレーズはなかった。
筋肉質の筋張った男の体を連想させるボディと、苦み走った精悍な表情。加えてサーフィンラインと称される
サイドのキャラクターラインなど、当時の国産車の中ではひときわ目立つ容貌でデビューしたこの車は、先代の
日産プリンススカイラインの名をそのままは引き継がず、プリンス抜きの日産スカイラインとして現れた。
しかし、1500cc車のエンジンはプリンス時代のものを引き継ぎ、販売店も日産プリンス販売
であり、完全にプリンスの影を払拭したわけではなかった。当時の日産にはスカイラインを日産の製品と
しながらも、プリンスのブランドイメージを借りて売りたいという、いいとこ取りの意図があったようだ。
日産の販売店がブルーステージとレッドステージに整理されるまで日産プリンス販売がスカイラインを
扱っていたことからもそれがわかる。(他の販売系列はサニー店、チェリー店など自社車名を冠していた)
ボディデザイン、サイズは排気量やグレードによって微妙に違っていた。
フロント、リヤのマスクやモールなどの飾りがグレードによって異なるのは
当時としては当たり前だったのだが、ボディサイズまで違える例はあまりなく、
スカイライン2000を特別な車として演出するには効果的な手法であった。
2000ccのボディは、そのまま1800や1500に流用されることはなく、寸法が詰められていた。
フロントホイールハウスの直後が短くなっており、スタイルがアンバランスになっている。
これは2000の6気筒エンジンと1800までの4気筒エンジンの寸法それぞれに合わせたと
説明されたが、4気筒にロングボディを流用しても不都合は特にないはず。おそらくは
先代スカイラインをレース用に改造する際にボディを延長して6気筒エンジンを詰め込んだという
エピソードを商品に反映させたのであろう。そのため、スカイライン伝説に憧れる人たちは
無理にも2000ccボディを入手したがった。1800GLでは全くダメ。2000GTでなければ
スカイラインを買う意味がない、という人がたくさんいたのである。
年式、グレードによってフロント、リヤのマスクも多種あり、テールランプも
長方形(凸格子付き)、長方形(凹)、角2個(凹)、角3個(凸)など多様であった。
発売後1年経って「愛のスカイライン」というキャッチフレーズが与えられると更に人気は沸騰。
資金力のない者は、サニーやブルーバードで我慢することもあったが、無理をした
ローン(当時は月賦といった)で購入する者も結構あったようだ。
しかし、GT-Rとなると話は違って、無理をしたローン程度では済まない金額になっていた。
加えてエンジンの馬力はあるものの、日常使用に必要な装備などは省かれていたため
一般の社会人が手を出すような代物ではなく、話の上でのみ登場するような、雲の上の
車という存在だった。レースにおける連勝記録のイメ−ジを、一般のスカイラインに定着
させるための、戦略的な市販であったといえなくもない。実際、一般路では扱いにくいだけの
気難しい車であったようで、ラジオや曇り止めのない仕様でもあるため長くは乗り続けられない
非実用車であったというのが本当のところであったらしい。
家にあったスカイラインは1500であったが、車内に光りあふれる開放感のあるいい車だったと記憶している。
そののち代替わりで来た4代目の2000GTーXが閉塞的なうえ、アンダーパワーの鈍重な車であったため
余計3代目がよく思えたのかも知れない。今でもスカイラインといえば、この型を代表として思い浮かべるのである。
スカイライン3代目 1968-72
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