1966年にサニーの対抗としてトヨタが放ったのちのベストセラー、カローラはファミリーカーとして
確固たる地盤を築いていった。トヨタはそれでも更に購買層を拡げるべく、1968年サニークーペの
対抗としてカローラスプリンターを発表した。ボディ前半はセダンと共通ながら後半を大きく変更し、
スポーツクーペを演出した。はじめの命名は「カローラの俊足版」というグレード名のようなものだった
と思われる。モータースポーツへの関心が高かったこのころ、販売車にスポーツイメージを与えるのは
重要なことで、スバル360やセドリックさえ、当時はレース場に引き出されて走っていたほどである。
はじめはカローラクーペの位置づけ
案の定スプリンターの存在はカローラのイメージを引き上げ、売り上げ増に貢献した。この功を
認められ、1970年には独立車として格上げされた。性能的にもセリカ用エンジンを与えられるなど
急速に向上し、まさにその名の通りの車に成長してゆく。
黒いホイールがスポーツタイプの演出だった
1974年にフルモデルチェンジされたスプリンターは2つの顔を持っていた。
従来のようにカローラ系ファミリーカーの顔を持つセダンと、ヘッドライトカバーさえ
装着できる彫りの深いスポーツカー顔を持つクーペの2本立てはスプリンターにとっての
大きな転機であった。カローラの派生車としてではなく、兄弟車としての地位の確立。同じ
トヨタ車の中で、カローラの対抗車となりうる立場に上ってきたのである。また、クーペの顔は
トヨタファンに受けたばかりでなく、フェアレディZを買えなかった日産ファンにも愛され、購買層を従来より格段に広めることに
成功した。この世代ではセリカリフトバックの成功に倣って、スプリンターカローラの双方にリフトバックボディの追加があった。
いかにもスポーツカーという顔つき
1979年、カローラと同時にフルモデルチェンジされたスプリンターは、カローラよりも
若干ながら高い価格が設定されていた。80年代に入って爆発的に広まる直線基調の
デザインをすでに取り入れ、クリーンで単純な感じの外装に仕上がっている。2ドアハード
トップではエクストラウィンドウが側面に加えられるなどスペシャリティな要素も見られるが、
セダンのデザインはカローラに合わせ、極力個性主張のない(面白みのない)形になった。
後のソアラに通じるキャビンのデザイン
1983年定期のモデルチェンジを迎えたスプリンターであったが、今回は駆動方式に
迷いのある形での登場となった。大衆車クラスが次々と前輪駆動化していく中、最も大量に
売れているカローラ/スプリンターも追随しないわけにはいかなくなってきたためである。
いうまでもなく、FF方式の方が室内も広く、構成部品も少なくて済む。大量生産できる車種で
あれば、大きなコストダウンにもつながる。しかし、慎重なトヨタは伝統のFR方式を一気に
FF方式に切り替えることには二の足を踏み、他社の出方と売れ行きを見ながら同名車でも
両方式を併売するなどの策を採っていた。スプリンターより上級クラスの新車種カムリは
FFで登場させたものの、古くからの顧客を引きずるコロナには従来のFRコロナに加え、
「FFコロナ」とわざわざ銘打ったものを追加販売(モデルチェンジではない)するという具合であった。
その結果、スプリンターのセダンと5ドアリフトバックにはFF、ノッチバックとファストバックの
2種のトレノにはFR方式を与えたのである。「スポーツ走行にはFR」という定説を踏まえての
判断であったわけだが、トヨタの曖昧な信念は貫徹されることなく、これが最後のFRスプリンター
となった。デザイン的には兄弟車レビンとの差を明確にするようにリトラクタブルライトが使われ
ている。まとまりのある簡潔な印象で好感が持てるが、その後ターセルにもリトラという同様の
デザインが登場してスペシャリティな感じは薄まってしまった。
また、販売台数総計に組み入れる都合によるものか、カリブが「スプリンターカリブ」と名付けられ
登場した。ターセルを元にしたRV車がスプリンターと名付けられねばならない必然性はないと思われるのだが。
次のチェンジで完全にFF化されたスプリンターは若者の関心から外れかけていた。このころ
話題の中心となっていたのは「ハイソカー」などと呼ばれたソアラやクレスタなどでFFスプリンター
などはもはやお呼びでなかったのである。5ドアにシエロと名付け、セダンにも車格以上の豪華装備
を施してのラインアップであったが、バブルで贅沢慣れした人々の目には5ナンバーサイズの車は貧乏たらしく映るばかりであった。
1991年、トレノはリトラクタブルライトを棄て、異形ライトで登場した。時代は丸、とばかりに
ぬるっとした丸いラインはかなり女性的なイメージを持つものであった。4ドアセダンはカローラより
若干上級を意識しながらも保守的なデザインで、全く印象に残るものではなかった。特筆すべきは
このあと出されたスプリンターマリノがカリーナEDの作り出した、変形4ドアハードトップブームに乗り、
そこそこの好調さを示したことである。クーペのように背の低い、居住性など考慮されない4ドアが
相当台数売れるなどとは意外であったが、ブームというのはそういうものなのであろう。一時の気分である。
8代目となったこのモデルでスプリンターはその名を消した。すでに時代はRV、ミニバンに移り
スプリンターの新型が出たところで話題にもならなくなっていた。スプリンターはあくまでもカローラの
兄弟車である以上、セリカのような奇抜なスタイルを採ることも出来ず、また、カローラとあまりにも
似すぎることも許されないという難しい立場にあった。それに加えて増え続けるトヨタの車種がその存在感を薄めていった。
スプリンターが消えても気づく人も少なく、実際代替えになる車はいくらでもあった。トヨタでは翳り始めた
カローラの販売台数を、スプリンター廃止によるカローラへの集中効果で増やそうとした。その戦略の中で
スプリンターは廃止されることによりトヨタに貢献するという報われない最期を辿って静かに去っていった。
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