堅実なつくりとクリーンなデザインで大人気だったブルーバード510は1971年、ブルーバード”U”の発表により
絶版になると思われた。ところが”U”が従来のブルーバードの車格を受け継がず、上級指向に走って大型化したため
従来のブルーバードの顧客離れを畏れたニッサンは、510を当面”U”と併売することを決めた。そのため、事実上
2代に渡るブルーバードがその後2年間も販売される事態となった。
ブルーバード510
その間、旧型となりながら売れた510を見て、ニッサンはサニーと”U”の間を埋める車種の必要性を感じたようだった。
1973年、さすがに旧態化したブルーバード510はバイオレットとして新規デビュー。ブルーバードUが有りながら
ブルーバードの正統的後継はブルーバードではないという不思議な有様であった。
バイオレット
車体の大きさや排気量は510を受け継いでいたものの、デザインは全く異なるものが採用された。
”U”同様曲線の多用、実用よりデザイン優先の姿勢は510の再来を想い描いた人たちにとっては
期待はずれであった。ブルーバードの固定客の年配の人たちはこの時期のサニー、ブルーバードU
そしてこのバイオレットの若者優先対応のデザインについて行けず、ライバル、トヨタのコロナに宗旨替えという場合も多かったようだ。
バイオレットのデザイン優先は4ドアセダンで顕著であった。セダンでありながらクーペ状のリアの処理。
形態上は4ドアクーペのようだったのである。後方視界は大変悪く、セダンに乗り慣れた人には大変不評
であった。あまりの悪評にニッサン自身びっくりし、早々にトランクに段を付けたマイナーチェンジ版を出すに至った。
左:前期型セダン 右:後期型セダン 後部トランクの角度が変更された
堅実な造形だった510に対し、奇をてらったようなボディと媚びるような表情は結局
最期まで510を越える評価は受けられず、ニッサンに深い反省を残すことになる。
これはバイオレットのみならずサニー、”U”などこの時期の多くのニッサン車に言える
ことであった。この時期、トヨタに顧客を流出させてしまったことは後々ニッサンの大きな痛手となるのである。
2ドアハードトップの形態はそのまま
ハードトップのデザインとしてはこの曲線は美しく映えた。この車の不幸はセダンとスペシャリティカーのデザインを
混同してしまったことだろう。2ドアで美しいデザインをそのまま4ドアセダンに持ち込んでも成功するとは限らない。
バンもあった
1977年、バイオレットは不評だったデザインコンセプトを全く捨て去り、一転して直線基調の
ブルーバード510回帰路線をとった。この先祖返りは「510の方が良かった」という世間の
評判をそのまま実行したもので、あまりに素直すぎるほどのマーケティングへの反応だった。
バイオレット2代目
これは年配のオーナーには受け入れられ、バイオレットは一気に「年配車」としての道を進むことになる。
しかし、一方セリカリフトバックの成功を横目で見てハッチバッククーペも設定するなど狙いが一貫せず
印象は先代より薄いものとなってしまう。オースター、スタンザなどの兄弟車が設定されたこともバイオレットが埋もれてしまう原因であっただろう。
1981年、3代目となったバイオレットには「リベルタ」の副名が付いていた。
存在感の無くなったバイオレットはまたも曖昧なデザインで登場し、その後わずか2年で消え去っていった。
バイオレット・リベルタ
「リベルタ」の名のみは後年、リベルタ・ビラとして延命するが、それもまた不振のままに終わる。
バイオレットはニッサンの不整合な代替わりの産物として生まれた元々曖昧な立場の車であった。
ブルーバードの順当な代替わりの失敗を補完し、他社への顧客の流出を防ぐという役目。それは
ブルーバードの膨大な固定客がいればこそのことであった。ブルーバードがビッグネームではなくなり、
その必要もなくなると共に役目を失ったバイオレットも消えていった。
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