善意の害毒 2

 

 

 

ボランティアは本来「善意から来る無償の奉仕」であるはずだった。しかし最近おかしな使われ方が目立つ。

まず、大学を欧米に合わせるため9月入学とし、高校卒業の3月から大学入学までの6ヶ月間を大学受験資格

獲得のためのボランティア期間とする、などということが国政レベルで述べられるようになっている。そもそも

何故欧米に合わせた入学時期にしなければならないか、から疑問であるが半年間を資格取得のために「ボランティア」

というのは暴論であろう。これは必修扱い、つまり強制でありボランティアの精神からは最も遠い形になる。

 

 

 

のみならず、毎年100万人もの大学受験生にボランティア労働をさせるということは、100万人分もの有償労働を

無償化させるという意味になる。現在でも、中国からの研修生という形で極安賃金で労働者を使っている企業にとっては

自国の100万人の若者を無償で使えることになるし、反面、有償で仕事をこなしている100万人が職を失うことになる。

 

それでは受験生を「企業労働はさせない」ということにすればどうなるだろう。ボランティアの人々は、病院、老人介護、

障害児の施設・学校などに殺到することになるはずである。いうまでもなくそれらの施設では福祉の精神が求められる

わけではあるが、ボランティアが大量に押し寄せれば現場が楽になるというわけではない。研修を十分に積んだ新人でさえ

仕事に慣れるまでは何年と苦労していくわけだから受験資格目当ての素人が行けば行くほど現場の職員にとっては

負担の増大になるのである。ましてやどこも人の命を預かる場面があるわけで、

「ボランティアだから失敗しても仕方ない」というわけには決していかないのである。

 

ボランティアの押し売りもある。上記のような福祉関係施設を中心に、「ボランティアをさせて下さい」という申し入れが

結構あるようだ。毎回断るわけにもいかず、限定的に受け入れるところが多いようだが、実際は「ボランティアをさせて

あげるボランティア」として渋々の受け入れというところが本当のようだ。本人は手助けのつもりでも、

現場の手を煩わせている場合が多いようなのである。

そういえば、大地震が起こった際などに押し寄せる「ボランティア」の中には、自分たちの食料や宿泊場所が十分でない

などと苦情を言うものまであるという。いかに自己満足の「ボランティア」精神であるかがわかろうというものである。

 

ボランティアを志すならば、誰にも迷惑をかけずに人のためになれるか、そこまでの配慮をした上で判断しなければならないのであろう。

 

 

 

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