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1972年に突然現れた拡大軽自動車。元ネタは同社のライフ。360ccの車のデザインを
そのままに、1200/1500cc版に拡大した。当時の小型車の常識であったリヤのトランク部分を
ばっさりカット。思い切りの良さは認めたものの、私はこのデザインにはあまり好感を持たなかった。
印象としては、『小熊のような顔をした女子が、どうせモテないからと頭を刈り上げにした』感じだった。
4ドアも
小型車を買うのにわざわざ軽自動車のデザインを選ぶ者がどれだけいるか、否定的な私の考え
とは裏腹にシビックはあっという間に世間に溢れ、今に見るヴィッツのような状態になった。加えて
低公害CVCCエンジンの搭載車としての人気が重なり、今まで軽自動車が収まっていた車庫に新しい
シビックが収まる例があとを絶たなかった。この意味ではこの変わった車はカローラの敵と言うより
フロンテ、ミニカやフェロー、そして同門のライフの敵であったように思う。
シビックは軽中心のメーカーであったホンダを一気に小型乗用車メーカーに押し上げていった。
勢いに乗るホンダは同様に尻をカットした上級車アコードを出して足元を固めに入った。
アコード
2代目シビック
7年もの間売れ続けたシビックをモデルチェンジするのは容易なことではなかった。
1979年に現れた「新型」シビックはマイナーチェンジにしか見えない代物だった。
フロントグリルやバンパーからメッキ部が消え、むしろ先代より安っぽく見えるほど
の失敗作。しかしホンダはそれに気づかず、大売れしたシビックのおかげで生まれた
バラードやプレリュードなどの車種にも「シビック顔」を次々と採用するのだった。
結果、ホンダのデザインは数年間低迷。シビックの思い切った再デザインが望まれた。
ワンダーシビック
3代目のデザインは思い切りのいいシャープなものだった。初代のときより更に
潔くテールを切り落としての登場。この時にはTVCMの出来も素晴らしく、ワンダーシビック
というキャッチフレーズも好調で、再びシビックは人気者に返り咲いた。当時は既にトランク部を
独立させない2BOXボディも珍しくはなくなっていたが、シビックの形は目立って垢抜けしていた。
今までのシビックのサイズをシティに任せたことで車体は大型化していく。特にホイールベースの
長大化は車内の拡大を実現し、他メーカーのFF車開発にも大きな影響を与えていった。
シビック/バラードにはトランク部付きのものも
全く普通の3BOXセダンも出した。これではシビックの方向性も無意味になってしまうようだが
乗用車の幅を拡げたいホンダは独自性から一般性への道を目指しはじめてしまったようであった。
こうして乗用車メーカーとしても大きくなったホンダは必然的に冒険を嫌うようになり、かつてのホンダ
とは違うものになった。大量に売れさえすれば良いというミニバン屋としてのイメージが強くなってゆく。
年々大型化
肥満したシビックはもう既に初代の頃の志を持ってはいなかった。V-TECエンジンなどで
一部の若者の興味を引く部分はあるものの、ボディデザインは「ただかぶせてみただけ」
のようなおざなりのものが多くなった。「エンジンさえ良ければ文句ないだろう。」「ウチの
ウリはミニバンだから。」というホンダの本音が聞こえてくるような不快感が身を襲う。
誰がシビックにこんな図体を求めるのか
シビックって何だった?3ナンバーサイズのこの巨大な車を何故今、シビックと呼ばねばならないのか。
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