ルノー4CV
ルノーは1999年より現在まで日産と提携し、互いの技術、経営を補完しあって近年めざましい成果を挙げている。
しかし、日本自動車工業にフランスの自動車会社、ルノーが関わったのは50年以上も以前からなのである。
昭和28年(1953)、それまでバス、トラックを生産していた日野が乗用車づくりを模索して手を組んだのが
フランスのルノー公団であった。当時他社も当然のように手がけていた外国車の国産化(ノックダウン生産)
である。他国車を国内で組み立てると、多大の資本投下を軽減して自社ブランドの乗用車が持て、同時にその
仕組みを学び取り、その後の自社開発の参考にもなるという有利な状況を手にすることができた。乗用車
であればとにかく何でもいいという時代には、他国の型遅れの車でもけっこう間に合ったのであろう。
ルノー組立
この車はフランスのデザインであるために厳密には国産車の範疇からははみ出していると思うのだが、
なかなか面白い特徴があるためプラモデルを買って組み立ててみたことがある。アメリカでは派手さの演出
が馬鹿馬鹿しいほどの競争になっていた1950年代の生まれであるが、この車はフランス生まれの実用車
ということもあり、隅々まで地味な処理になっている。現在の基準からすれば車体はだいぶ小型なのであるが
車単体で見る分にはそれ程小さく見えない。それは地味な車なりの地味な工夫があるためで、
モデルを組み立ててみなければ気づかなかったかも知れない程度のことであった。
車の大きさを見るときに、無意識のうちに基準となる部品を選定し、それに比べて全体を計る。というのが
おおかたの人の見方であると思う。この際の基準となる部品は、多くの場合ヘッドライトである。人の意識の
中には丸形ヘッドライトはほぼどれも同じ大きさ、という思い込みが何となくできあがっている。そのため、
ルノーのような小さめのヘッドライトを装着した車は、実際よりも車体が相対的に大きく見えるのである。
さらに本来リヤエンジン車には不要なフロントグリル(ダミーである)で横線を協調して幅を大きく見せている。
小柄な人と並んでもそう大きくない車である
実際人間と並んで写っているとだいぶ小振りな車であることがわかる。それもフェンダーの張り出しが
かなりあってのことで、室内幅はさらに狭いということも画像から充分に伺える。現代の軽自動車のほうが
ずっと広く感じられるであろう。しかし、それでもこの車は当時の日本社会では主にタクシーとして
貴重な任務を果たし続けていたのである。
リヤエンジンのうえ、フロントにスペアタイヤを納めていたため、荷物もろくに入らなかった車でも
動く以上はとにかく需要があった時代、この車はミズスマシのように町中を走り回っていたようだ。
当時のクラウンが「観音開き」といわれるドアの開き方で話題になっていたが、この車は逆。
後部ドアは今の車のように開くものの、前部ドアが前のほうから開く。これは、小さな寸法の車に
乗り込みやすくするための工夫である。後年、スバル360にも採用された。(現在では走行中
開きかけると風圧で一気に開いてしまい、事故の原因になるということで市販車には見られない)
この形式のドアは全部開くと、異様ではあるものの壮観でもある。そのうえ前部ドアはフェンダーの
大きな膨らみを取り込んでいるため、だいぶ妙な形になっている。
この車は導入より4年後には、デザイン以外は純国産化を成し遂げ10年に亘る長期間生産された。
技術者が大勢渡仏し技術の吸収に努めた結果であるという。後年日本が自動車先進国になるとは
まだ誰も考えない時代であったから、ルノーも鷹揚に技術供給をしていたのであろう。
小振りなため取り回しがよいことと、ドライブシャフトなど余分な部品を持たない構造から、軽く経済的で
あったことが長命の理由でもある。ルノーという名前がフランスの公団の名ではなく日野の一車種として
認識された頃、日野は乗用車の先生とも言うべきルノーに加え、1961年、コンテッサを市場に送りだした。
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